ざわざわしていた。広い会場、演奏が始まっていると認識できた人はどのくらいいただろう。
なぜ彼がいつものターンテーブルでなく、アコーディオンでの演奏だったのか。そしてその音は私のサインウェイブに寄り添うような微かな音であり、聴こえていたのは演奏者である私たちでさえやっと、、そんな演奏だったように記憶している。おそらくこの微かな音の演奏にはきっと意味があったはずだ。だけど私はこのコンサートの翌日からツアーに出国してしまい彼の展示作品を観に行くことは叶わなかった。「Variations on a Silence: Concert」2005年5月。
彼との出会いは20年以上遡る。2000年前後、激しくヨーロッパツアー中心の人生を送っていた時にどこかの国のどこかの都市のフェスティバルでクリスチャン・マークレーの演奏を初めて聴いた。その後もいろんな国のいろんな都市ですれ違ったり、時には一緒に演奏したりしていたけれど、彼の展示作品にじっくりと触れる機会はなかなかなかった。本人もあえて言ってこないし、目の前で本人の音を聴いているんだからそれで十分じゃないか、とも思っていた。
演奏や音源での彼の音は、どれも好きだった。CDやレコードはジャケットも含めていつも素敵。センスのいい人はあまり多くない実験音楽の世界で、彼の存在はどこか他と違っていた。私の嫌いな自慢のような偏った音楽の話もしない。大概おいしいレストランを教えてもらうか、一緒においしいものを食べてたか、、、とにかく彼の勧めるものはいつも間違いなかった。初めてタイ料理を知ったのもそう。今でもパッタイを食べると私はクリスチャン・マークレーを思い出す。私に合わせてくれていたのか彼がそういう人なのか分からないけれど、一緒にいて心地のいい音楽家仲間(とよばせていただくならば)。
ちらりと映像で作品を観る事や通りすがりに作品に遭遇することはあったと記憶している。あぁ、クリスチャン・マークレーらしいな、と思った。演奏から制作へ、表現方法は変化しても彼らしい軸はいつもそこにあるな、と感じていた。展示設営中の会場に会いに行った事もあった。作品に関して教えてくれるどころか散歩の付き合いになってしまい、作品を体感できず。本人目の前にするといつもそういう感じになってしまい、時は経っていった。「またね」いつでもどこでもそう言って別れた。また、いつでもどこでも会えると思っていた。
2022年。どこかの国のどこかの都市で会う事もなくなり、それどころかライブもツアーもやりにくくなり、おまけに歳もとったしで、会うこともままならない。状況は想像以上に変化していく。そんな中、奇跡のようなタイミングというものはやってくるもので、そういう時は逃している場合じゃない。東京都現代美術館「トランスレーティング[翻訳する]」展で「Variations on a Silence」も含め、新旧作品がっつり展示するらしい。彼の去った東京の会場で、そこに佇む作品たちにどっぷりじっくり浸かることができた。そして今、やっと言える。
やっぱりここには彼の音楽がある。彼のやってきた音や音楽に関するもの全て、対するもの全てへの愛情と誠実さが見事に存在している。センスよく、ユーモアあり、そしてどこか優しい。ここでいう彼の「音楽」は展示会場に実際に鳴っている音だけではない。私にだけ聴こえていたあの時の演奏の微かな音も含め、存在しない音も含め、記憶の中での音も含め、これまでの私の知る限りの「彼の音楽」が浮かび上がってきた、とでも言えるかな。だけど、「あぁ、これはクリスチャン・マークレーの新しい演奏だ」なんてことは言わない、演奏は別。だけど、別の意味できっちり彼の音楽になっていた。こんなこと出来るのは彼しかいない。演奏でも展示作品でも、音が鳴ってても鳴ってなくても「音楽」である、という事が体感できるということを、20年以上たって、ようやく知ることが出来た。それがただ嬉しかった。パッタイ以上かもしれない。
2022年3月31日