このエッセイでは、アートプロジェクト「Variations on a Silence ──リサイクル工場の現代芸術」(以下、Variations)への参加アーティストの1組である710.beppoを取り上げ、Variationsを含むその前後の出来事を振り返ってみたい。と、書き始めたのは年明けすぐのことだったのだが、驚くほどの遅筆により2022年の4月まで時が経過してしまった今、この710(nato)が異なる響きを持って聞こえくる。
そもそも710.beppoとの出会いは、2001年11月3-4日の2日間にかけて実施した「f r e q プログラムが表現する音と映像」※1だった。音プログラミング環境のMax/MSPと、そのMax/MSPにリアルタイムでの映像処理環境を加えるnato.0+55に焦点を当てたこのイベントに、呼んでもないのに現れたのが、710.beppoの横井和也と古舘健の二人だった。
※1:当時学生として在籍していた九州芸術工科大学において、同じ研究室の友人たちと、“テクノロジーと音・映像との関わり合い、その中から生まれる表現、の追求を試みる場”、としてレクチャー+ライブ・コンサート+ワークショップという形式で開催。
呼んでもない、というと少々語弊があるが、イベントの実施に際してDSPサマースクール※2で出会った数少ない同世代の友人たちに声をかけたところ、その一人である中居伊織のVJとして、当時彼らが在籍していた岐阜のIAMASから福岡まで車に2台のプロジェクターを積んで、突如現れたのだった。
※2:Max/MSPを中心に据えて1999年から2003年にかけてIAMASが主体となって実施されていたワークショップ(初年度の名称はMSPサマースクール)。主な講師は、赤松正之、三輪眞弘、佐近田展康、後藤英。
当時のパンフレットにはこのように記されている。
710.beppo (ARch)
横井和也と古舘健の映像、音響、空間演出ユニット。主に東京や名古屋でのクラブイベントでsound visualization performanceとして作品を発表。また、2001部名義で、VJもつとめる。映像を、単に映像としておさめるのではなく、空間演出、建築としての方向性を志向。 名古屋の爆音レーベルARch参加。
多様な用途を想定した八角形という特徴的な形状を持つ、九州芸術工科大学の多次元デザイン実験棟で実施されたライブ・コンサートで、僕らは710.beppoがその語源とするnato.0+55+3d(以下nato)を駆使した初めての3面プロジェクションを体験することになった。
このソフトウェアについて、当時の日本において710.beppoと双璧をなすnato使い(と言って良いだろう)であり、先述のf r e q のメインアクトでもあったportable[k]ommynity※3の一人、堀切潤はこのように記している。
※3:堀切潤と澤井妙治による二人組のユニット。その名の通りportableをモットーに、拠点を持たずラップトップの限界に挑む音響映像パフォーマンスを展開していた。
一言でいえば、nato.0+55とはMaxMSPにリアルタイム画像処理機能を追加するプラグインであり、Maxだけでは不可能な画像の処理、分析、生成を可能にする。わざわざMaxMSP/Natoのようなプログラミング環境を使わなくとも、AfterEffectなどの一般的な動画編集ソフトウェアを使えば多様な画像処理が行えるわけだが、最終的なアウトプットはリニアな時間上の、つまりは始まりがあって終わりがあるというムービーファイルになる。一方、natoによる画像処理は、ほとんどがリアルタイムに働くのでインタラクティブに制御できるという利点がある。また、単にエフェクト処理だけでなく、画像の分析や生成も可能なのでVJソフトの作成やインスタレーションなどへの応用も容易である。
(jun horikiri(2001)Max/MSP/nato.0+55レクチャー(後半)、「f r e qプログラムが表現する音と映像」パンフレット(前掲)、 pp.10-17.)
今でこそ、TouchDesignerをはじめとして、 openFrameworks、やMax純正のjitter、というように、ラップトップ上でリアルタイムかつインタラクティブな画像処理を実現できる環境が当たり前のように存在している。ただ、その数年前にようやくリアルタイムの音響処理ができるようになったばかりの2001年当時の僕らにとって、このnatoの登場は衝撃以外の何ものでもなかった。
何よりも、MacOSの機能を極限まで引き出している技術力の高さもさることながら、その機能のラディカルさ(例えば、242.parad!szというオブジェクトを使うと強制的にコンピュータを終了させることができる)と、ドストエフスキーの小説から名付けられた、ネートチカ・ネズワーノワ、という謎の制作者※4の存在、nato語とでも言えるような独特の言葉遣い、さらにはインターネット黎明期の世界観とも呼応する反資本主義的な政治的な姿勢も相まって(現にその攻撃的なメッセージによって、いくつかのメーリングリストから追放されている)、ソフトウェアが思想になる、とはこういうことなのか、という強烈な印象を残している。
※4:実際にはRebekah Wilsonをはじめとした複数の開発者からなるコレクティブであり、その関係性は必ずしも幸せとは言えないものであった、と以下のドキュメンタリーで語られている。
Elisabeth Schimana, IMAfiction #02 06 Rebekah Wilson aka Netochka Nezvanova,
https://vimeo.com/87394052
その後も710.beppoの二人とは、THINK ZONE※5や、そこから程近いBullet’s※6でのイベント、都内各所で実施していたLe Placard(プラカー)※7などを通じて交流を深めていくことになり、そのコミュニティからはThe SINE WAVE ORCHESTRA※8を始めとしたいくつものプロジェクトが生み出されていった。
※5:六本木ヒルズのプレ・プロジェクトとして設置されていたアートスペース。床打ち16面のプロジェクションが特徴的。実施された主なイベントには「オープン・マインド」などがある。
Jo Kazuhiro(2003)森美術館プレオープン企画「オープン・マインド」
http://www.shift.jp.org/ja/archives/2003/02/openmind.html
※6:西麻布にあった靴を脱ぐクラブ。2018年3月に惜しくも閉店。
※7:1998年から継続してパリを中心に世界中で開催されているヘッドフォンミュージックフェスティバル。会場にスピーカは無く、観客はヘッドフォンでライブ演奏を聴く。
https://www.leplacard.org/
※8:古舘健、筆者、石田大佑、野口瑞希の4人により始められた参加型のプロジェクト。音の最も基本的な要素といわれるサイン波を主題に様々な作品を展開。今年結成20周年。
https://swo.jp/
なお、Variationsでの710.beppoは、リサイクル工場の金属破砕機の振動に着想を得たという作品《0.7 tons for music》を展示していた。工業用のバイブレータを取り付けた700Kgの鉄板の上に観客を立たせることでその全身を震わせるというこの作品は、時の経過もあって※9もはや直接的にはnatoに依拠していない。とはいえ、通常の美術館であれば設置が危ぶまれるような作品を、後先考えずに作り出す※10というその姿勢は、呼んでもないのに現れた時から首尾一貫している。
※9:natoはMac OS 9(2001年に開発終了)までの環境でしか動作しない。
※10:使用した鉄板はその後も保管され続けている、と聞いている。
このテキストを通じて、2000年代の僕らの活動の一端を、710.beppoとnatoを手がかりに(それこそリサイクルするかのように)振り返ることができた。1990年代までの紙と2010年代以降のクラウドストレージの狭間にあって、手持ちのハードディスクのクラッシュと自作のウェブサイトのドメイン失効により、デジタル化された多くの記憶が失われている僕たちの、この小さな物語が、どのように歓迎されるのかはわからない。でもnatoに限らず、例えば、音楽テクノロジーと軍事技術とには様々な(もっと直接的な)接点があったりもする※11。20年前のことを振り返りながら、足元の現実に向き合っている。
※11:つい先日僕の元で(とはいえ教え子というよりは同志感の方が強い)博士号を取得した松浦知也が,今の現実を踏まえて公開した以下の文章には、その歴史的な事例が幾つも記されている。
松浦知也(2022.2.25)音楽土木工学と戦争