その道中の風景がときどき記憶に浮かんでくる。雑多な雰囲気の平和島駅からバスに乗り、生活感の希薄な幅広の道路を挟む工場地帯、対岸から飛行機が飛んでいくのを傍観することは、まるで安部公房の小説かヴェンダースの映画の中に迷い込んだような体験だった。
当時学生だったわたしにとって、美術館や劇場で様々な作品に出会うなか、稼働している工場で作品が展開されていることこそが空間として劇的な魅力であったし、辿り着くまでの景色を含めて、印象に残り続けている展覧会のひとつである。
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三日前は大森にあるオープン間近のリサイクル工場にて開催されたノイズを主題とするイベントに足を運んで柄にも無くアートを堪能し、一昨日は渋谷青学にて催された恩師がコーディネーターを勤める中世文学の学会に参上して久々に学生気分となり知恵熱を発し、昨日はやはりキャラ不相応にも営業すべく新宿にある未知の出版社に赴き編集者の「あなたは将来的にどうなりたいのか」という質問に何も答えられず自己嫌悪に陥りその後自棄になって大層飲んだ。
(二〇〇五年五月三十一日の日記)
どのような音だったか、今は正確にはおぼえていない。が、工場で聞いたあの轟音を背負いながら、大森からも渋谷からも新宿からも、とぼとぼ帰途についたことは忘れていない。
リサイクルという概念はマークレー作品の総体にかかるものではないかと思う。割られたレコード、映画のシーンの数々、切り抜かれたマンガのオノマトペなど、マークレーの作品を総覧していると、文化という現象のなかで渦巻いている創作と破棄、そして再生のうねりを巨視的に目撃しているかのような感覚に襲われる。わたしたちの体も、常に膨大なノイズを吸収し、忘却しながら、常に意味をリサイクルし続けている。その一連の過程をある種の翻訳行為とみなす「トランスレーティング」展の最初のセクションで、2005年にリサイクル工場で展示された「Variations on a Silence」の作品群が並んでいたのは、とても象徴的に感じられた。
日本国内で、美術館規模でのクリスチャン・マークレーの個展を観ることができる日が訪れるなんて、想像もしなかった。作品をしっかり実見するのは、「Variations on a Silence」展の鑑賞の機会以来かもしれない。
マークレーもその重要人物の一人である、80年代のニューヨークの前衛音楽シーンには、ポストモダンの刻印と自意識が強烈に記されていたと同時に、メジャーに対するカウンターであり、アンダーグラウンドでもあった。その後マークレーが、現代美術のシーンにおいて、高い評価を得ることになるものの、今日なお、80年代のカウンターの「ヤバい」精神は確かに息づいている。
東京都現代美術館でクリスチャン・マークレーの作品と再会し、あのときは頭で理解していた作品を、ようやく身体で理解できるようになったと感じた。
振り返ってみると、ポル・マロのアロマの香りも710.beppoの振動も現場で体験するもので、Variations on a Silenceはそんな身体で反応する展覧会だった。
今でこそ美術館ではない空間での展示や、メディア・アートと呼ばれるような作品にも馴染みがあるが、当時の私にとっては新しい世界と出会ったような感覚だった。
あの場での経験から今に繋がることがたくさんある。人と作品との出会いを作ること、見て考えるよう促すことは今も変わらないテーマであり、これからもずっと続けていくと思う。今の私だったら、どんなツアーができるだろうか?
本展覧会に私は作品制作補助と運営のボランティアとして参加しました。会期中、特に記憶に残っているのがマークレー氏による作品の音です。使用済み電化製品の音がサンプリングされ、音楽作品となってリーテム工場内に響いていました。「使用済み電化製品」の役割や意味づけをさらに固定化する「リサイクル工場」という場で、それらを引き剝がし変換する作品、特にその音と場の意味が交差する体験は今でも忘れられません。
レコードが置かれていない状態の3台のターンテーブルを演奏しながら、リアルタイムでレコードをカッティングして作るというクリスチャン・マークレーのパフォーマンスが羽田空港近くの埋立地にできたばかりのリサイクル工場で行われると聞いて、パフォーマンスの内容もさることながらかなり特異なロケーションにワクワクした気持ちで会場へ向かったのを覚えている。変わった場所でのライブや演奏会はたまにあるけど、美術館ではない場所で、これほどスケールの大きなアートイベントというのは当時も、そしてそれ以降も体験したことがない。