1973年にニューヨークに来てからちょうど50年になる今年、刀根康尚の回顧展、「パラメディアの領域」がアーティスト・スペースで開かれた。1960年初頭、グループ音楽の一員として東京の前衛芸術界に足を踏み入れ、ハイレッドセンターのイヴェントの多くにも関わり、日本に居ながらニューヨークのフルクサスに作品を送って参加し、批評家としても知られた刀根だが、その活動の全貌を知る者は非常に少ない。
ニューヨーク近代美術館やウォーカー・アート・センターを経て、数年前にアーティスツ・スペースのキュレーターとなったダニエル・ジャクソンが、学生時代から興味を持っていた刀根康尚にアプローチし、パンデミック中、1年近く彼の自宅を頻繁に訪れ、念密なリサーチを重ねた結果が今回の回顧展へと実現した。彼女の熱意とアーティスツ・スペースのスタッフのサポートがなければ、実現はあり得なかったであろう。
アーティスト・スペースは、グループに属さない、新興のアーティストに機会を与えることを目的とし、1972年にニューヨーク市のソーホー地区に、ニューヨーク州美術基金の試験的機関として創立された※1。ポストモダン史に欠かせない、ダグラス・クリンプがキュレートした「ピクチャーズ」展(1977年)、アイデンティティ探索の先駆けとされる、エイドリアン・パイパーの「単なるアート」展(1981年)、エイズ危機を訴えた、ナン・ゴールディンの「目撃者たち:消滅に逆らって」(1989年)など、ニューヨークの美術を語る上で不可欠な展覧会の多くがここで催された。
※1:https://artistsspace.org/about#history
無数のギャラリーがチェルシー地区に移動した後も、ソーホー地区を転々としていたアーティスト・スペースだが、2017年に元ホイットニー美術館のパフォーマンスのキュレーターだったジェイ・サンダースがディレクターとなった後、キャナル・ストリートから古い石畳の残るコートランド路地に入った、19世紀のキャスト・アイロンの建物に新しく居を構え、ジャクソンなど有能なキュレーターを登用し、アート界のニュースを賑わせている※2。
※2:https://www.artnews.com/art-news/news/artists-space-jay-sanders-1202673270/
刀根がニューヨークに移住した頃、アーティスツ・スペースのみならず、彼の旧友のナム・ジュン・パイクや久保田成子が初期のヴィデオ・アートを発表した、ザ・キッチンやホワイト・コラムズ、AIR、PS1など、今でも継続されているオルタナティヴ・スペースが林立し、ニューヨークは実験的アートのメッカになった。
時系列に配置されていない本展は、入り口の正面の壁に映写された《Molecular Music》(1982-85)で始まる。心臓、植物、指など、甲骨文字や唐詩をイメージした静止画像(雑誌や本を8ミリカメラで撮影)が次々と映写される中、スクリーンにとりつけられたセンサーが光をキャッチし、発振器を通して音に変換される。文字など、何らかの表象を音に変換する試みは、刀根の経歴に一貫して見られる。
スクリーンの隣には、その発振器が置かれ、その横の展示ケースには関連資料が並んでいる。中でも目を引いたのが、Just Above Midtown※3というオルタナティブ・アート・スペースで、1982年に刀根が出演した、「Blind Dates」というプログラムのプレスリリース、ポスター、ポストカードなどだ。そこで刀根は、黒人アーティストのセンガ・ネグンディ、ダンサーのブロンデル・カミングズと3週間に渡り、共演していた※4。彼がいかに横断的に活動を繰り広げていたかがつぶさにわかる。
※3:ニューヨーク近代美術館で、展覧会“Just Above Midtown Changing Spaces”が2022年10月9日から2023年2月18日まで開催されていた。
https://www.moma.org/calendar/exhibitions/5078
※4:”Blind Dates” は Just Above Midtown の現場で3週間に渡って製作された3人の合作によるパフォーマンス・ピースである。
仕切りの壁の向こう側には、時を遡って、東京時代の刀根の活動が紹介されている。床に何気なく置かれているモニターに、1961年末に草月会館で行われた、一柳慧作品発表会でのグループ音楽共演の貴重な映像が流れているのには、驚いた。当時のニュース映画『朝日ニュース』※5で、「これが音楽?」という特集で上映されたのが保存されていて、今回特別に上映権を得て、展示されたそうだ。一柳の《IBM 出来事(ハプニング)とミュージックコンクレート》は、一枚の写真と秋山邦晴の記述、参加者の追憶からしか、状況再現が不可能と思っていた。シャボン玉を吹く塩見允枝子など、音楽とは程遠い、ばらばらなアクションを演奏者が繰り広げる中、舞台に座り、逆さにした鉢を金づちで叩いている刀根の姿(当時26歳)が見受けられる。同じモニターには、城之内元晴の《シェルタープラン》の記録映画、刀根の《2,880K=120”》という3分間ストップウオッチの針の動きを撮った短編映画が、ループで流れており、このモニターだけでかなり見入ってしまった。
※5:「朝日ニュース」は、当時、ニュース映画(英語では「News Reel」)と呼ばれていたもののひとつ。
(テレビが普及する前に、映画館で劇映画とともに上映されていた、
モニター横の小さなケースには、刀根がコンセプトやプログラムに中心的に関わった、銀座の伝説的ディスコ、キラー・ジョーンズのマニフェストや、サイケデリックな色彩の内部写真が載った『商店建築』などの雑誌が並び、隣の壁には田名網敬一のキラー・ジョーズのポスターが目を引く。その斜め向かいの壁と、真ん中にはめられたケースには、刀根が弁護人として深く関わった、赤瀬川原平の1000円札事件に関わる作品が並ぶ。これらの多くはウォーカー・アートセンターから貸し出されていた。このセクションだけでも、刀根が1960年代を通して、日本で常に最先端の芸術表現に関わっていたことが見受けられる。
奥の大部屋では、アメリカに来てからの刀根の活動がハイライト的に取り上げられた。ニューヨークに来る前に短期間滞在したカリフォルニアで、アラン・カプローの学生と協働したイヴェントの記録が壁に大きく映写されている。その手前には、小さなオルガンや、《時計仕掛けのヴィデオ》という作品で用いられた、三つのターンテーブルを組み合わせた手作りの機械の一部などが小気味よく配置され、パフォーマンス記録の展示にありがちな、単調さを見事に避けている。
《時計仕掛けのヴィデオ》とは、それぞれ異なる速さで回る、三つのターンテーブルにヴィデオ・カメラを置いて、マース・カニングハム舞踊団のダンサーたちが踊る姿を撮影したもので、床に縦に置かれた三つのモニターで、そのヴィデオをそれぞれ見ることができる。ダイアグラムにあるように、元々は四方に観客がおり、その前のモニターでダンサーが生中継で観れるように設定されていたようだ。回るダンサーたちを、回転するカメラが追うことによって生じるずれが、観者の視覚を錯乱する。
横の壁には、刀根と80年代に度々共演した、フルート奏者のバーバラ・ヘルドのために作曲された作品の楽譜、キーにフォームと電線をつけたフルートなどが展示されている。1月19日には、ヘルドがほぼ40年ぶりに招聘され、刀根と《フルート奏者のためのトリオ》、《フルートのためのリリクトロン》などを共演した。前者では、筆記体で書かれた『万葉集』の上に透明シートが重ねられ、その上に音階が書かれたものを楽譜として、ヘルドがフルートを演奏するのだが、ただ吹くのではなく、万葉集の英訳を読みながら、キーを指で操作し、そのキーが発振器に繋がっていて、音の強弱が絶妙に変化した。後者では、部屋の真ん中のケースに展示されていたコモドール64と他の電子機器が、地下のステージに移動され、実際に用いられた。35年ぶりにコモドールを起動させるまでに時間がかかり、その間、観客はサスペンスを経験した。ようやく起動した時、コモドールの抑揚のない音声が、ヘルドのフルートの音を英語の俳句に返還したものを読んだ途端、観客は驚きの歓声を上げた。フルート、コンピューターと俳句という、普通は思いつかない要素が結びつき、単に音楽とも呼べない、文学とも呼べない、新しい表現が出現したからだろう。
大部屋の角に設置されモニターには、ラリー・ミラーが撮影した、1979年にザ・キッチンで行われたフルックス・コンサートの映像などが流れ、一人で座ってじっくり鑑賞できるようになっている。刀根がニューヨークにやってきた1973年もフルクサスの活動はかなり頻繁に行われ、ニューヨーク内外からメンバーたちが集まり、イヴェントを継続していたことが窺える。
刀根が現代音楽の領域で名を知らしめた契機となったのは、1984年以降、CDにピンで穴を開けたテープを貼りつけた《Wounded CD》 の演奏であった。仮設壁に並べて展示された《Wounded CD》の数々は、常に新しいテクノロジーに対峙し、実験を続けてきた刀根の原点
とも言えるだろう。「賢い機械と立ち向かうには、非常に原始的にならなければならない」※6 と言った彼は、様々な方法で、テクノロジーに戦いを挑んできた。会期中と後のコンサートが、発表された度に数時間で予約がいっぱいになったのは、そんな彼が貫いてきた「反逆者」の姿勢が、テクノロジー飽和状態の現代世代に新鮮に映るからであろう。60年に渡る刀根の多様な活動は、一つの展覧会ではとても網羅しきれないが、本展を基点として、多くのキュレーターや学者、音楽家やメディア・アーティストたちが刀根に興味を持ち、新しい企画や研究が生まれていくに違いない。
※6:Christian Marclay and Yasunao Tone, “Record, CD, Analogue, Digital.” In Audio Culture: Readings in modern music. Edited by Christoph Cox and Daniel Warner ( New York NY / London: Continuum, 2004), p. 342.