6/5の東京Baroom公演から始まったTomeka Reid QuartetのJapn Tourはありがたいことに九州で二つの公演が組まれ(6/13は九州⼤学芸術⼯学部、6/15は旧八女郡役所)、今回その両方に行くことができました。
リーダーのチェロ奏者Tomeka Reidをはじめ、ベーシストのJason Roebke、ドラマーのTomas Fujiwara、そしてギタリストのMary Halvorsonからなるこのカルテット、メンバー全員がバンドリーダーとしてもサイドマンとしても非常に精力的に活動しているためそれぞれのキャリアを書き出すのはここでは難しいですが、メンバーの中でも今回の来日を報を受けて注目が集まったのはやはりギタリストのMary Halvorsonではないでしょうか。私は彼女の存在は2012年に佐々木敦がその年の年間ベストアルバム※1 の一つとしてMary Halvorson Quintet『Bending Bridges』を選出していたことで知ったのですが、その時点で彼女はジャズギタリストとしてもバンドリーダーとしてもその個性的な音楽性を非常に高く評価されていたはずです。そしてそれ以降もその活躍はこれまで全く途切れず続いている※2 にも関わらず、来日の機会はほとんどなく(唯一2014年にMarc Ribot率いるバンドThe Young Philadelphiansの一員として来日したことが記憶にあるのみです)、それが実現しそうな気配も特になかったため、今回のツアーの報が出た時には驚きとともに相当な嬉しさがありました。
※1:https://sasakiatsushi.tumblr.com/post/39384373153/best-discs-2012海外篇
※2:僭越ながら2018年にはアルバム『Code Girl』のリリースに関連してジャズ・レビュー・サイトUntitled Medleyにてメールインタビューをさせていただく機会がありました。
https://untitledmedley.com/2018/07/24/mary-halvorson-interview/
それ故観られるチャンスがあれば絶対に行きたいと考えていたのですが、ありがたいことに九州では先に述べたように二つの公演が組まれたため、私はその演奏に二度も(しかも幸運なことにどちらも最前列で)接することができました。以下はそのレポートとなります。
結論から言ってしまいますと、両公演でのTomeka Reid Quartetの演奏は、方向性などで大きな違いがあるわけではなく、基本的には最新アルバム『3+3』の収録曲をメインとしながら、過去の楽曲も織り交ぜ、オープンな即興と耳馴染みのいいメロディーを持った作曲パート、そしてそれに続くトラディショナルなジャズの快楽を感じさせるアドリブパートを編み上げていくような構成で進みます。特にこのバンドが得意としているように感じられたのが、最初に非楽音的な音響※3 を多用した即興を行い、頃合いをみて(アイコンタクトでそれを計り)作曲パートへ移行、そして4人全員へのソロ回しの後に、その熱を受け継いだコレクティブ・インプロヴィゼーションのような状態へなだれ込み、テーマの再現で締める、といった展開で、これは言葉として書き出してしまうとジャズとしてはそこまで風変りには思えないかもしれませんが、実際はオープンな即興のパートがそれに続くパートと奏法などの面でコントラストを成していたり、作曲パートが趣向の異なるいくつかのブロックが連結されたような構成になっておりその部分だけで音楽的な移り変わりが十分にあったりするため、独自の蓄積や独特な魅力を大いに感じさせるものになっていました。これは最新作『3+3』に鮮やかに表れているポイントでもあるので、今現在のTomeka Reid Quartetの創意は「即興、作曲、アドリブをどのような濃度で、どのように組み上げるか」にあり、今回のツアーではそれが観客にもとても伝わりやすい、ある意味「仕上がった」かたちで提示されていた印象があります。特に音響的な雑味の強い即興から作曲パートの旋律へ移る瞬間の、正に「潮目が変わる」といった趣の美しさと、個性的な単旋律という線と時にパーカッシブな点であり時に絡まった蔦の塊のようでもあるテクスチャーが絡み合うコレクティブ・インプロヴィゼーション的な場面の音楽的/音響的な豊かさは深く記憶に残るものでした。
※3:チェロやコントラバスはハーモニクスやミュート音を頻繁に織り交ぜ、ドラムは手に持った紙を丸める音をバスドラムの打面付近へ持っていき響かせる?ようなこともしていました。
そしてもちろん、そのような「組み上げ方」という大局的な面から感じられる魅力だけでなく、即興、作曲、アドリブそれぞれの中身にも耳を奪われる瞬間が数え切れないほどありました。
特に印象に残っているのはアドリブのソロ回しを行っている最中に見せたMary Halvorsonの立ち回りです。このバンドの楽器編成上、ギターはアドリブを見せ場とするリード楽器と伴奏楽器を兼ねた役割となるのですが、Tomeka Reidのチェロがソロをとっている時のギターの挙動がなかなか掴み難く、控えめにコードや補助的な旋律を入れるくらいの時もあれば伴奏という言葉に似つかわしくないほど耳を引くフレーズを次々に繰り出しチェロと並走するような状態となることもありました。そして印象的だったのが、そのような多彩な音を繰り出す間、彼女は自分の手元や楽譜などに視線を向けず、ずっとTomeka Reidの顔もしくは押弦する左手のほうを見ているというケースが非常に多かったことです。チェロの音の動きに合わせて音を発するため、といえば自然に納得できるものではあるのですが、にしてもあそこまで全く手元を見ずにこんなに風変りなフレーズを弾けるのかという驚きがまずあり、更に耳を疑ったのが、チェロのソロが盛り上がり激しいグリッサンドによって「区切りのない」音程の行き来が加速しカオティックな響きが出てきた際に、足元のペダル操作によるピッチのたわみを駆使してそれを即座にトレースするような瞬間が何度かあったことです。彼女の足元のエフェクター類には2つのフットペダルが組み込まれており※4、演奏は常に両足をそれに乗せた状態で行われていたのですが、フレーズの節々での(時にブルースギタリストのチョーキングを反転したようであったり※5、時にはヒップホップのDJによる急速なスクラッチのようであったりする)アクセントに留まらず、フレットレス楽器特有のあのニュアンスの模倣までそこから繰り出されるとは。ギターそれ自体の音色やフレージングに一聴してわかる個性があるのはもちろんですが、この2つのペダル操作にも完全に身体の一部と化したような自在さが宿っているように感じました。手元にある楽器だけでなく、そこに接続される外部機器の挙動なり効果も合わせて身体の一部とし、自らの「声」を創出するその在り方は(もちろん彼女の前にも後にも様々な試みがあると思いますが)最近の目立った例ですとスロウギアとハーモナイザーを身体化したサム・ゲンデルなどにも通じるかと思います。
※4:2つのフットペダルの役割はおそらくですが左足が多機能ディレイであるDL4 mkiiのパラメーター(例えばDelay Timeなど)をEXPペダルとして操作することによる一時的なピッチのたわみ効果、そして右足がシンプルなボリューム操作だったかと思います。
※5:ブルースやその奏法に大きな影響を受けたロックギタリストの演奏などに親しんだ耳から聴いた時に、ジャズギターの大きな特徴として耳に留まるポイントの一つが「チョーキングを用いない」ことであるかと思うのですが、Mary Halvorsonは特に下方向へのピッチのたわみをフレーズの節々に入れることが多く、それが上方向への音程移動であるチョーキングとはまた異なる歌のニュアンスを演奏に加味していました。
バンドリーダーのTomeka Reidについては、アルバムを聴いていた印象ではその才覚はまず楽曲のテーマ、すなわち旋律を生み出す能力にあると思っていたのですが、実際に演奏を観てみるとインプロの時間においてはハーモニクスや完全にミュートした状態で発されるノイズ、弓のネジ部分を弦や指板に小刻みに打ち付ける特殊奏法など、打楽器的な音響を多く発していたことも印象的でした。彼女は足元にオクターバーやディレイなどのペダルを置いていたのですが、それらを使うことはほとんどなく、奇異に聴こえる響きも基本的には全てアコースティックな方法で出していて、常にペダルに足を置いているMaryとは印象的な対比を成していました。
ジャズにおいてチェロという楽器は、コントラバス奏者の持ち替えであったり、中~大規模のアンサンブルまで含めれば目にする機会は増える印象ですが、4〜5人程度までの編成では未だに珍しいといっていいかと思いますし、私もすぐに思い浮かぶのは数名程度※6 なので、珍しさと同時に取っ付き難さや掴み難さが生まれてもおかしくないはずなのですが、思い返すと彼女の演奏にはそのような感覚がほとんどなかったのも不思議な点です。ここでいう「珍しさ」に対しては、ツアーに際して行われた柳樂光隆さんによるインタビュー※7 でTomeka本人が非常に丁寧に歴史的なガイドをしてくれているのですが、そのうえで彼女自身、チェロでのジャズ演奏においては「(あくまで他の楽器に比べて)レガシーがない」ことがエキサイティングなポイントだとも語っているので、このバンドにおいてはチェロによるジャズ演奏の独自の探求※8 が、聴く人にとっては実験性などよりもむしろ敷居の低さとして表れている面が強く、故に歴史的な認識に乏しい私でもすんなり入っていけたということなのかもしれません。
※6:Tomekaと活動領域が近いFred Lonberg-Holmをはじめ、Hank Roberts、David Darling、即興演奏のフィールドがメインですがTristan Honsinger、更に元々チェリストであったコントラバス奏者(稀にチェロも演奏)のEberhard Weberなどが思い浮かんだのですが、本当にどの音楽家も独特で全く似ていない……。
※7:interview Tomeka Reid:チェロでジャズを弾くこと、作曲/キュレーション論、AACMについて
※8:加えて柳樂さんによるインタビューで興味深いのが、Tomekaがチェロでのジャズ演奏を試行錯誤するに辺り、管楽器(特にトロンボーン)の演奏が参考になったと語っている点です。なぜならMary Halvorsonも(自身が元々アルトサックスを吹いていたという経緯で)確実に管楽器のフィーリングをその演奏に活かしている奏者であるからで、このバンドにおけるフロントといえる両者には楽器は違えど、単旋律を演奏するフィーリングに響き合うものがあるのではないでしょうか。
リズム隊の2人も素晴らしく、Jason Roebkeはまず何より演奏中の表情がバンド内でも際立って楽しそうだったのが印象的で、場面によっては身体も揺らしほとんど踊りながら弾いてるような状態になっていましたし、ソロの最中にはフレーズを歌いながら弾いてる瞬間も多々あるほどでした。彼はインプロの時間では同系統の楽器といえるチェロが放つサウンドに様々な奏法を駆使して応じ、作曲パートの穏やかな場面では弓弾きでクラシカルなサウンドのレイヤーを生んだかと思えば、続くパートではドラムと共にジャズらしいビートを感じさせる演奏へと舵を切るなど、演じる役割に幅があり、この人の振る舞いによってこのバンドのイメージが(例えば弦楽器三つとドラムという認識から、リズム隊とフロントという認識を行き来したりと)大きく変わる感触がありました。
Tomas Fujiwaraについては絶妙なスイング感のコントロールやソロ楽器の移り変わりに合わせたリズムアプローチの切り替えなど、聴衆の身体や意識を奏でられる音楽のツボにはまるようにガイドする気遣いが終始感じられました。このバンドの演奏では特別意識しなくてもソロ回しに合わせて聴いている姿勢や身体の向きが変わる、すなわち音楽の流れに身体が付いていくのが不思議だったのですが、今振り返るとそれは彼のドラムによる巧みなリードによるものだったのかもしれません。よく目を瞑ったり上に顔を向けて演奏に入りこんでいたJason、譜面やその下の角度に視線を落ち着かせながら終始クールな表情で演奏するTomeka、そしてTomekaの左手(?)へ向けた視線が印象的だったMaryに対して、彼が視線をよく動かしていたこと(そこには度々客席も入っていたでしょう)は、ある種象徴的でもありました。
Tomeka Reid Quartetはメンバーそれぞれの活動領域であったり、個々のリーダー作に表出される(それぞれに異なる)風変りさや奇妙さから、今回の来日に際してもアヴァンギャルドやエクスペリメンタルといった枕詞で紹介されることが多い印象でしたが、実際に演奏に触れてみると、少なくともこのバンドに関してはその魅力は、例えば素晴らしい楽曲という俎上でのソロ回しの中で滲み出る各々の個性といった具合に、真っ当にジャズ的なものを多分に含んでいる印象でしたし、私だけでなく聴きに来られた方々の多くにジャズのライブの楽しさをストレートに伝えるものだったのではないでしょうか。
九大では想定以上の客入りもあり演奏者と客席が最早一体といえる近さとなった空間で、一時間程度を全く怯むことなく駆け抜ける、あらゆる意味でタイトなパフォーマンスであったため、最早周りの雰囲気が知覚される隙すらないほど演奏に意識が没入していたのですが、八女では無伴奏ソロなどの各々の見せ場も十分に用意された構成でじっくり2時間演奏してくれたため、演者と客席が徐々に熱気を増していく感覚があり、難しさを感じさせるどころか、このバンドが初めて観るジャズのライブであったとしてもすんなり入っていけるような、オープンな雰囲気に満ちた公演であったように思います。
私はメンバーの中でも特にMary Halvorsonの作品を熱心に追ってきた人間であったため、できれば彼女のリーダーバンドの演奏に先に触れたかったという思いがなくはなかったのですが、実際Tomeka Reid Quartetの演奏に触れた今、アドリブで特異な「歌」を奏でられるジャズミュージシャンとしての彼女の声を、全てが親しみやすく素晴らしい楽曲への反応として味わえるこのバンドは、その演奏に触れる最初の機会としてベストだったと心から思います。
原雅明さんと山元翔一さんによる記事※9 にもあるように、彼らのようなインディペンデントなミュージシャンの来日というのは様々な点で障壁があり、今回も決して簡単なものではなかっただろうと想像しますが、私が接した二公演は客入り、そして演奏中の熱気ともに素晴らしいものでしたし、それはミュージシャンにもきっと伝わったのではないかと思います。このような機会がまたあることを心より願っております。
※9:即興、前衛的なジャズを生業に生きていく。助成金、NPOなど、アメリカでの実情を訊く