僕としては根本の、自分の作品のコンセプトをなにかで残しておきたいって気持ちはありますけど、残せないものは残せないんですよね。

川崎弘二編著『日本の電子音楽』(2006年、愛育社、140頁)

2000年に行われたインタビューで、小杉武久はこのように述べている。小杉の身体がこの世から消えてしまった今、「残せないものは残せない」という言葉が、切ない残響のように響く。

改めて述べるまでもないが、小杉の音楽は、単に楽譜をなぞる行為の対極にあった。小杉が自らの身体を空間のどこに置くか、どう動くか。何に触れ、触れないか。それによってどのような音が出るか、出ないのか。演奏する空間で起こるあらゆることに反応し、音を捉え、また放ち、それを無限に繰り返す、その全体が小杉の音楽の髄であった。演奏という意味では二度とこの世に現出することはない。あるのは音源、インストラクション、ダイアグラム、そして小杉と共に演奏した者たちの経験だ。経験は、それを持つ人がいなくなれば、消失してしまう。

冒頭の引用は、デイヴィッド・テュードアがこの世を去った後、彼の作品を今後どのようにリアライゼーションしていくのかという話題に続いて、自らの作品について問われた際の小杉の発言であった。オリジナルの作品性を毀損することなく、次の世代の音楽家・演者たちが作品を受け継ぎ、展開する難しさについて語るなかで、小杉は自身がテュードアの《レインフォレストI》を共に何度も演奏した経験があるため「その通りにある程度やることができる」とも述べている。

小杉の音楽をどのように「残す」か、また「残す」だけでなくそこから新たな創造性を展開させるのか。やはり「経験」から始めるしかないのだろう。小杉と共に演奏した経験のある者たち、彼らの身体から、小杉の音楽が引き出されるのを目撃したい、そこからさらに広がる音楽の可能性を見てみたい。「小杉武久の2022」のためにHALL EGG FARMに集まった満員の聴衆があちこちで交わす会話には、そうした期待が満ちていた。

木の温かみのあるホールには大きな窓があり、それはちょうど演者が背負うように舞台の奥にひとつ、それから観客の右手側にもひとつあり、そこからは森の木立が見えた。天井からはいくつもの電子発振機がぶら下がっていて、虫が鳴くような小さな音が、柔らかい雨のように断続的に降っている。小杉が演奏やインスタレーションに使い続けてきたこの電子発振機が発する音は、まるで小杉が発信するあの世からのラジオ、または小さくも確かな導きのようでもあった。小杉のいなくなった世界で、パフォーマーたちはどのように小杉武久の音楽を演奏することができるのか。

《Question》/高橋悠治、威力

最初のプログラム、《Question》と題された高橋悠治の作品(試演)は、まるでこの問いを体現するような演奏だった。今回初めて小杉の作品を演奏する威力がステージに現れ、卓に斜めに座って、何か音を出すでもなく、機材を静かに眺めるところから始まる。ふと立ち上がり、会場内の別の場所に腰を下ろす。窓の外をしばらく見つめていたかと思うと、窓から外へ出て行き、木立の向こうに見えなくなる。少し後から現れた高橋悠治は、今回の演奏メンバーの中では、唯一1960年代から小杉の演奏を目撃している人物だ。ピアノに触れ、コードや短い旋律を気まぐれに鳴らし、椅子を押したり引きずったりして、威力よりも遠慮なさげに空間に介入していく。威力の動きを追って、聴衆は会場のいろいろな場所に目をやる。また高橋の音に気を取られている間に、また威力が室内に戻ってくる。そうした動きのコンポジションの中から、空間全体の輪郭が顕になるようだ。それはまるで、小杉のいない世界の様子を確認するようでもあり、また音楽が鳴る空間を調べるような雰囲気もある。フランス語では「質問する」ことを「poser une question」と表現するが、この作品での威力のパートは「Posing」と表現されていた。空間の中でポーズすることで、空間全体を調べ、空間へと問いを投げかけるような演奏だった。

《無題》/藤本由紀夫、入江拓也、威力

シームレスな沈黙の中から、次の作品《無題》(1980年)が始まった。ニューヨークのザ・キッチンが初演とされている小杉の作品で、今回のプログラムの中でもっともミニマル・ミュージックの趣のあるシンプルな楽曲だ。ジェラルミン・ケースを携えた藤本由紀夫が静かに現れ、それを開けてまた別の箱を取り出す。中にはチューナーが入っているようで、Aの電子音が細く響き始める。藤本はそれを持ったまま会場内を移動し、置き場所を変えたり、箱を開閉することで、音の響きを少しずつ変えていく。続いて、やはり今回初めて小杉の作品を演奏する入江拓也(SETENV)、そして威力がステージに戻ってきて同じ行為を銘々に行う。同じAの音にもかかわらず、ほんの少し生じるピッチの違いで、空間全体を奇妙な音のモアレが支配していく。まるで終わらないオーケストラのチューニングのように、あるいはチューニングそのものの音楽性で遊び始めてしまったかのように、音楽の始まりの瞬間を引き伸ばしたような奇妙な持続が、次の作品への期待を大いに膨らませた。

《Organic Music》/威力

《Organic Music》/和泉希洋志

三つめの作品は《Organic Music》(1962年)、おそらく小杉の作品のなかでももっとも知られたもののひとつであり、また近年まで度々演奏され、多くの小杉ファンに馴染みがある楽曲だろう。吸う/止める/吐くという呼吸によって構成され、楽器や道具などが使用されてもよいとされる。初演ははっきりしないが、1963年秋に草月ホールで開催された「New Direction 第3回演奏会」では、秋山邦晴、一柳慧、小林健次、野口竜、増田睦実、小杉の6名が演奏、風倉匠が楽器として参加した記録がある(『朝日新聞』1963年10月16日朝刊ほか)。特定の楽器に習熟していなくとも演奏可能なシンプルなインストラクションで、ジョージ・マチューナスのまとめたフルクサスのマルチプル《Events》にも所収されている。今回は威力が紙風船を用い、1996年以後何度も小杉と演奏を行ってきた和泉希洋志が、空気入れやふいごを使って表現した。いずれも、音はマイクに文字通り「吹き込まれ」、強いアタックノイズを伴って、彼女・彼らの身体のリズムと共に放たれた。音楽を吐き出すそれぞれの身体の存在を強く意識させ、二人が別々のタイミングで演奏を止めて退出したところも印象深かった。

《South, e.v.》/GC、和泉希洋志

次に演奏されたのは、これも小杉が繰り返し演奏してきた《South, e.v.》、1962年に作曲した《SOUTH. NO.1》のエレクトリック・ヴァージョン(1999年)で、演奏は新型コロナウイルス感染のため残念ながら出演が叶わなかったEYEに代わってGCと、再び和泉が務めた。「SOUTH」という単語が音に分解されて素材となり、パフォーマーによって自由に演奏される。演奏はGCが強く「S」の音を出すところから始まった。それはまるで先の《Organic Music》を受け取ったかのような息を吐き出す歯擦音で、作品どうしの思わぬ繋がりに引き込まれる。そこからあとは音のボリュームが一気に上がった。シーケンサーなどを用い、大胆なノイズが縦横無尽に展開していく様は、遠慮なく走り出した若い音楽家たちの小気味よさに満ちていた。

《Spectra》/GC

続く作品《Spectra》ではちょっとしたアクシデントが起こった。この作品は元々、当時小杉が専任の作曲家を務めていたマース・カニングハム舞踊団の「Cargo X」のための音楽として1989年にできたもので、その後1992年にジーベックホール(神戸)で個展をする際、小杉はマルチビジョン用に演奏する手元を映像にまとめたことがある。鉱石でできた薄いプレートの下にコンタクトマイクを入れ、そこに小石や貝がら、陶器のオブジェなどを置いたりどけたりする音をピックアップ、エフェクトしたものだ。この作品も以後たびたび演奏されており、たとえば2009年、筆者の勤務先である国立国際美術館での「二つのコンサート」で演奏された際には、小杉、和泉、EYEが演奏した。

この日の演奏では和泉とEYEが演奏する予定であったが、先述の通りEYEに代わってGCが機材の前に座った。おもむろに藤本由紀夫がプロジェクターに歩み寄り、スイッチを押したが点灯しない。どうやら二人の演奏の背景に映像が流れるはずだったようだ。急な機材トラブルは、藤本から和泉に静かに耳打ちされ、そのまま二人の演奏が始まった。二人の手元にはやはり鉱石プレートといくつかの小さなオブジェ(GCは卵型のマラカスももっていた)があり、硬質で歪んだ音が大音量で響いた。

あとでHEARの岡本隆子に聞いたところによれば、プロジェクターからは小杉の演奏の様子が映し出されるはずだったということだ。小杉の用いたオブジェは旅先で求めたものなどで、その手触りが重要だったと聞き驚く。手触り、それはもちろん接触した時に出る音へと繋がっていく要素ではあるのだが、もしかしたら小杉がオブジェに触れる瞬間から──たとえ未だ音が出ていなくとも、その音を予見して──音楽が始まっていたのではないか、と考えさせられた。のちに、コンサートでは見ることのできなかった映像を拝見する機会を頂戴したが、小杉の手つきの柔らかさと、残響を楽しむような音づくりが印象に残った。

《Distance for Piano》/高橋悠治、藤本由紀夫、GC

最後の作品は《Distance for Piano》(1965年)、デイヴィッド・テュードアに捧げたピアニストのための作品で、小杉が生前自身で演奏した記録は確認されていない(他方、インターネットで検索すると、さまざまな演者によって近年も世界各地でこの作品が演奏されていることがわかる)。作品のインストラクションが、封筒入りのカードに記載して配布されたので記しておきたい。

DISTANCE FOR PIANO / The performer positions himself at a point where he cannot touch the piano directly. / However, he can use some object(s) to produce sound from the piano, at the various spots on the instrument. / Assistant(s) may change the position of the piano during the performance. / 1965(revised, 2005)

このテキストの下にはドローイングが印刷されている。棒人間で示されたパフォーマーとグランドピアノの間には、見た目ピアノ2台分ぐらいの距離があり、パフォーマーはとても長い棒のようなものでピアノの蓋に触れているように描かれている。

今回は高橋悠治がパフォーマーとなり、プログラムにはアシスタントとして藤本がクレジットされているが、舞台には和泉とGCも現れて、ピアノを動かすためにその周りを取り囲んで立った。高橋の無言の指示でピアノを回転させ、蓋を開けると、ピアノの上に置いてあった釣り竿を高橋が手に取って、パフォーマンスが始まった。最初は弦をくすぐるように、ひっかくように、時に激しく、また小さな音で、ピアノの蓋をリズミカルに叩いたり、擦ったり、ゴムボールを弦の上に置いてつついたりしながら、ピアノのすみずみへと釣竿の先を滑らせた。釣り竿という道具は小杉のパフォーマンスを強烈に思い出させる仕掛けだが(《CATCH WAVE (MANO-DHARMA, electronic)》(1967年)など)、高橋はそれを気負いなく使っているようだった。ピアノを動かしたいときは、まるで指揮棒のように釣り竿を動かしてアシスタントたちに指示を出し、時にピアノを離れて藤本の頭上でくるくると釣り竿を回して見せるなど、その様子はとても自由で、会場の緊張の空気は、次第にリラックスして柔らかいものになった。その安堵感には、小杉のいなくなった世界のなかで、私たちはこれからも小杉の音楽と共にある、それを新たに発見していけるのだという、コンサートを通じて得た聴衆の実感もまじっていたのではないか。ストップウォッチの数字を見て高橋がはたと演奏を止め、コンサートは終わった。あっという間の1時間だった。

今回の演奏会の企画は藤本由紀夫、90年年代後半より小杉作品の演奏を数多く行っている和泉希洋志、スタッフは岡本隆子、高嶋清俊、ニシジマアツシ、村井啓哲と、長きにわたって小杉を支えてきたメンバーが固めた。ちょうどこの演奏会の前後、神宮前のギャラリー360°では展覧会「小杉武久 音の世界 新しい夏 1996」が開催され、芦屋市立美術博物館で行われた小杉のパフォーマンス映像の記録が展示されていたが、この撮影は藤本で、小杉を追いかける眼差しがそのまま現れている、とても面白い内容だった。演奏のアシストのみならずこのように撮影者として、また対談や企画を実施するなかで、さまざまな立場で小杉の仕事に関わってきた藤本をはじめ、長い時間のうちに小杉武久の音楽を自らに染み込ませ、先回りしてステージを支えるスタッフの経験値は何にも変え難い。今後はスタッフ陣にも若手が加わり、経験を受け継いでいくことを期待している。そしてまた、演者方の「経験」のみならず、聴衆の「経験」も、小杉武久の音楽の継承・展開に非常に重要であると付け加えておきたい。「小杉武久の2022」を耳に残した私たちは、未だ到来しない未来の小杉の音楽をもう想像し始めているのだから。

(了)

本稿執筆にあたっての主な参考文献は以下(発行年順)

  • カタログ『音の世界 新しい夏』芦屋市立博物館、1996年
  • カタログ『小杉武久 サウンド・インスタレーション』愛知芸術文化センター実行委員会、2003年
  • 川崎弘二編著『日本の電子音楽』2006年、愛育社、増補改訂版2009年
  • カタログ『小杉武久:音楽のピクニック』芦屋市立美術博物館、2017年
  • 小杉武久『音楽のピクニック』カバー新装版、書肆風の薔薇、2017年
  • Takehisa Kosugi『Instruction Works』HEAR sound art library、2017年

岡本隆子氏には、主に小杉武久の演奏記録についてなど、さまざまな示唆と資料のご提供を頂きました。ここに記して感謝申し上げます。

写真撮影:高嶋清俊
写真提供:HEAR


「小杉武久の2022」
日時: 2022年10月15日(土) 15:30開演(15:15開場)
会場: HALL EGG FARM
https://hall-eggfarm.com/

展覧会「小杉武久 音の世界 新しい夏 1996」
会期: 2022年10月14日(金)〜11月5日(土))12:00 – 18:00 ※木、金、土の営業
場所: 360°[JINGUMAE](〒150-0001 渋谷区神宮前3-1-24 ソフトタウン青山1F)
http://360.co.jp/


橋本梓
[国立国際美術館主任研究員]
1978年生まれ。国立国際美術館主任研究員。グローバルな美術史とローカルな芸術実践の摩擦がもたらす創造性に関心を持ち、国内及びオーストラリア、シンガポールでも共同企画によるキュレーションを行う。 同館での主な担当に「風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」(2011年)、「他人の時間」(2015年、共同企画)、「THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ」(2016年)、「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」(2018年、共同企画)、「Viva Video! 久保田成子展」(021年、共同企画、第32回倫雅美術奨励賞美術評論部門受賞)。他の企画に「Alternating Currents – Japanese Art After March 2011」(2011年、PICA/ブリスベン、共同企画)、「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」(2022年、森美術館/東京、共同企画)ほか。